今日、まじめに午前中から図書館で勉強しようと思って出かけたのですが、図書館が蔵書整理で12:00からしか開館しないことが判明。どうしたものかと思っていたら、図書館の横の展示室で協同組合に関する特別展示をしていたので入ってみました。自分が生協に関して自分もそれなりに興味を持っているので。

図書館展示おそらく生協などに関して詳しい方は知っている内容かと思いますが、私はまとまったまだ資料を読み込んだりしていないので大変面白く思ってじっくり30分くらい見てしまいました。恐らく私たちの世代では、生協に対するイメージは新鮮味のあるものではなかったので、機会がない限りはあまりその世界的な発展過程などは知ることがほとんどないものです。ただ生協にここ1年くらいかかわりを持たせていただくようになってから、社会の共助システムとしても、また事業経営のケースとしても大変面白いものだと感じています。

さて、今日の展示の主役となっていた「ロバート・オウエン」は、英国のウェールズ地方のニュータウン出身で自ら紡績業で財を成した人物。その一方で彼は、貧困にあえぐ労働階級に対して、生産から消費までを構成員自らが行う大規模な協働村構想を打ち立て、協同組合思想の祖として知られているそうです。(一橋パンフレットを参考)
彼自身は思考実験を米国に渡って、自ら行ったようですが(ニューハーモニー/1825年など)失敗に終わってしまったようです。その中でも1832年には労働時間を単位として生産物の交換を行う実験をしたようで、これは現在のエコマネー的思想と精通するものだと感じます。

これらの影響を受けて、1840年代ランカシャのロッチデールで世界初の協同組合である「ロッチデール公正先駆者組合」がスタートします。当初は28人の労働者が自分たちの一か月分の給与1ポンドを出し合ってスタートさせ、取り扱い商品も小麦粉、オートミール、バター、砂糖の4商品だけだったそうです。なおかつ開店時間も月/土曜の晩だけというなんとも店舗とも言いがたい営業状況であったようです。しかしながら著しい成長を果たして、わずか12年程度で組合員数50倍、基金総額約400倍にまで成長。1867年には図書室などまで備えるセントラルストアまでオープンさせるに至ったようです。店舗に図書室を設けるところが、労働者階級にも教育が必要であるという社会的な視野があると同時に、公共施設を設置することで購買活動以外の利用用途に幅広く利用できる施設となった利点があると感じます。

このような流れの中で1852年、「産業・節約組合法」が成立し、国としても協同組合を公式に認めるようになったようです。同時に、先駆者組合をモデルとして後発組がどんどんと発生するようになったようです。この際にホリヨークがロッチデールのモデルを元にイギリスのみならす欧州全土に協同組合の普及を促したと書かれています。これはまさに、一つの社会的事業モデルの水平展開を示唆しているように感じます。具体的には書籍にとりまとめて各地に伝えた回ったようです。

しかしながら、乱立する協同組合間、もしくは他の競合との競争の中で多くの組合は長くは続かなかったようです。ここで先駆的組合の優位性の理由として、「ロッチデール原則」と言われるような経営理念が重要な意味を持っていたと理解されているようです。
大きく8つの項目に分かれて、
①民主的運営、②自由加入制、③対出資金利子の固定/制限*重要、④購買高配当*重要、⑤現金取引、⑥品質保護、⑦教育推進、⑧政治的・宗教的中立 となっているようです。
この中でも特に経営上重要であると考えられるのが「対出資金利子の固定/制限」と「購買高配当」であると考えられます。前者は、出資金に対する利子を固定にする、つまり売上高が増加しても利子は増加しない、といったことが短期的な配当に利益が流れるのを制限し、内部資本として留保することを実現したと考えられます。
後者は、仕入れと販売の差益から生まれた差益の一部を組合員に還付するシステムです。これらにより、経営資本の継続的な蓄積が組織的に行うことができ、事業の継続や設備投資資本などを得ることが出来たと考えられるわけです。逆に後発組の組合ではこれらのバランスが崩れてしまい、組合員の意見ばかりが先行して組織的な利益を犠牲にせざるをえなくなり、経営的に成り立たない組織となってしまったことが予想できる。

わが国に視点を向けると、このようなオウエンの流れなどを受けながら、1879年前後から神戸などの関西圏を中心にして消費組合が成立し始め、産業組合中央会、全消協が全国の組合を指導するようになっていった。しかしながら治安維持法などにより、国内の動きは一気に消沈してしまった。
その後終戦を向かえ、著しい食糧不足などを背景にして消費組合が再興し、世界的はにも稀に見る成長を遂げていった。戦後も戦前同様に産業組合法が基本法となっていたが、1948年には生活協同組合法が成立。所管官庁も農林省から厚生省に移行した。そして1951年には日生協が成立して翌年からはICA(International Co-operative Alliance)に参加するなど国際的な活動も遂げていったようです。

その後の現代生協の発展に関しては記載されていなかったので、おって私も勉強したいのですが、この簡単な流れを見ただけでも大変興味深く感じさせられるものです。こう見ると、今ソーシャルアントレプレナーと呼称されるような行動とほぼ近い内容であることがわかります。よりイデオロギーが強い感じはありますが、それは時代背景によるものだと思います。何よりその信念は、人々の幸せな生活を実現する、という大変純粋なところにあるのが何より共通点でしょう。

個人的には生活協同組合の歴史と共に、その経営的発展についてより詳細の分析を行いたいと感じています。特に80年代以降の成熟期から個配による再興期などの経営のダイナミクスについて大変興味があります。あまり経営的な視点よりは社会学的な視点から論ずる機会が多いので、経営的な視点から切り込んでみたいと感じます。

図書館が空いていなかったことにより思いにもよらない収穫でした。その後図書館には入れ、目当てのドクター論文をコピーできたのですが、講義に遅れるという失態でした。

《参考WEB》
■オウエンから一橋へ : 消費組合の成立と展開
■ロバート・オウエン Wikipedia
■ロッチデール150年-協同組合思想史における「労働」の問題-杉本貴志著
■ロッチデール先駆者協同組合 Wikipedia