出張の際に飛行機で「電子機器の電源をお切りください」タイムにいつも本を持って行っているのですが、最近ブログで本に触れる機会がほとんどなかったので、思い出したように最近読んだ中の中から2冊ご紹介。全く関係していないように見えて、実はこの2冊には気づきがあったりします。それは日本企業が、敗戦を超えて成功を納め、そしてまた衰退していこうとしているという輪廻を考えさせられるからです。

1冊目「世界で勝負する仕事術」

元東芝のフラッシュメモリを専門としている半導体のトップ技術者で、今は中央大学理工学部教授を務められている竹内健さんの本。ご自身のこれまでのキャリアを通じて、国際競争の中でのキャリアのあり方半導体産業の変化など製造業のあり方といったものについて多角的にについて触れられている。

  

平易な文章ながら、内容的には東芝時代のR&Dから事業部まで幅広く実際の現場の状況、また社内政治的な駆け引きなどもストレートに書かれており、「ものづくりニッポン」とかいいながらもあまり実態に関わったことがない人にとっては大変興味深いものばかりだと思う。今の日本の製造業が不調である要因もよく分かると思う。技術があっても、経営が社内政治によるおかしな人事によって麻痺することで、生殺し状態になっている。

また、キャリアについても、単に技術者としてだけでなく、海外に出てMBAを取得することで、現在は技術と経営をつなぐMOT教育に力を入れられていたりと、市場を強く意識した技術のあり方についても考えさせられた。単に技術だけでも、単に経営だけでも、今の製造業の国際競争では勝ち残ることはできず、むしろ将来的な製品イメージを取引先や競合企業と駆け引きしつつも、時に協調しつつ、各種部品も作っていくということによって競争力のある最終製品、それを支える部品を相互関係で完成していくというのは、垂直統合でも、水平分業でもなく、水平統合型と呼ぶ方向性として大変分かりやすい。

競争協調というのが、戦略論でも語られて久しいが、日本企業の考え方は「日本が一致団結して海外市場をせめて、日本を戦後復興たらしめんとするもの」であった。株式会社ニッポン、と呼ばれたような世界観がいまだに、固定的な日本人の企業観として染み付いている。日本の付加価値生産や雇用を考えても製造業はいまだ重要であり、この考え方は決して全く無意味なものではないと僕も思っている。ただ、何事も自分たちだけでやろうとする自前主義があり、これは大変重要な技術などをブラックボックス化していくという部分で発揮することで日本で付加価値を確保するにしても、最終的にモノが売れたり、量による価格競争力がなければならない。と、色々と考えさせられました。

もともと大学院が一橋でものづくり大好き系で、ずっととある製造業国際企業に自分も属したりしていることからも大変興味深い本でした。あと、半導体とかの難しい話もここまでシンプルに書けるのがすごいなーと純粋に感激しました。一流の人は難しいことを単純に伝えられる、というのを改めて実感。

(その後、竹内先生の奥様が都市計画をご専門にされているとのことから、ツイッターでやりとりをさせて頂きました。SNSでの出会いに感謝です。)


2冊目「失敗の本質(再再々読)」

これはもはや古典の部類なので全くもって内容について説明するまでもないと思う。読んでいない方は必読の書です、すぐにでもお読みになられると良いかと思います。

僕が初めてこの本を読んだのは高校1年の夏でしたが、その時はまず書かれている当時の局面についての理解が浅かったのでかなり時間がかかりました。それだけ現代日本の教育では、過去の戦争から学ぶという姿勢はあんまりなく、単に負けた、戦争はよくない、という固定観念を受け付けるだけで終わってしまっている証拠でもあります。いつも思うのは歴史教育は現在からさかのぼり方式が正しくて、太古のような卑弥呼とか前方後円墳とかから追っていくと最終的に時間切れで近代・現代が手薄になるというのを小学校、中学校という義務教育で繰り返しているのは見直すべきですね。経済に関する教育もここまでの経済大国なのに全くしていないのもおそろるべくことで、このあたりの教育プログラムについては高校の時に1本論文書いているので、また改めて。



さて、これを読むと戦後日本が製造業を中心として復興した背景にある組織論は、戦前からあまり変わっていません。むしろ、戦前の企業と連続しているのではなく、戦前の軍隊システムが、戦後の企業組織にスイッチしたというほうが正しいように感じています。戦争末期は統制経済なのでだいぶん近い状態だったと思いますが、その前とかは民間企業での終身雇用体制とかは見られなかったというのは組織研究でなんどかみた記憶があります。

竹内さんの本でも最後に日本の今の産業空洞化の問題の背景にある、経営の不在について語られていますが、日本軍の負け方は全くもって「経営」の課題そのものでした。

敵を甘くみるという姿勢は、「日本の技術は世界一。なんだかんだでmade in Japanが一番だと未だに思われていて、欧米諸国に対しても優位で、韓国、中国、台湾なんてお話にならない」と思い込んでいる一般の人達はいまだ多いし、そういう記事がウケるのでメディアにもよくでる。

補給に対する考え方の甘さも、昨今のエネルギー問題や、為替問題、人材育成についても、全てにおいて全て産業側の努力によって解決できるものだとするのも、気合と根性で「補給がない状態でも戦う気合が重要」といったような話を引き継いでいるように思える。しかし人間が飯を食わなければ動けなくなるのと同様、産業もエネルギーがなければ生産活動を行うことはできない。さらに精密さが求められるから日本に残っているような産業においては、工作機械などは一度停止させると、稼働が正しい水準に戻るまでのチューニングなどを含めて多大な時間を費やさないと製品製造に戻れないズレが生じたりする。自宅で電子レンジをつけたり消したりするのと同程度に考えている人もいるが、そういう話ではないのだ。人材育成についても同様で、どの産業で日本が飯を食っていくかを決めてそれに対応した教育が大切なわけだが、いまだ産業政策としての教育は全くもって手薄である。ここも強化していかなければならないが、ここの成り行きまかせとなっている。

決断力のないトップについても同じ。行うべき合理的方策は、バカではないから日本人はわかっている人が沢山いるが、トップがそのような方策ではなく、今未だの延長線での消極的選択をしたり、気合と根性、派閥政治的なことに力を注いできてしまっている。今の大企業トップは社内政治の勝ち組で、調整型の人材が多く、決断力に乏しいというのはよく言われることです。ただ歴史的には仕方ないところもあり、戦前、戦中世代が戦後の平和産業にシフトして生まれた仕事が沢山あり、それに乗っかった団塊の世代は特段自らの意思決定というよりは、カリスマ的なトップに従って一生懸命働き、まわりから慕われるような人が上に上がっていった。中間管理以上の世代はそういう中で登ってきた人たちで、全てがキラープロダクトを作ったりした人ではなかったり、そういう人は目立ちすぎて途中でスパンアウトしてしまったり、失敗をするとその内容を分析せずに人事的に左遷するだけ、結果残ったのが調整型人材だったりする。人の顔色ばかり伺いながら、方針を決めたりしているトップでは、勝つことはできない。

何度も何度も読んでいますが、毎度発見があります。それだけ自分も不勉強だなーと思わされる。

こういうあたりもこの本を読むと全くもって失敗から学んだ世代がいなくなると、また同じ失敗を繰り返してしまうのか、と思ってしまう今日この頃。

日本の過去と今を考える上でいい2冊でした。飛行機の中で一人、胸熱くしていました。笑