昨日はAIAUniversityという内部定例勉強会。この勉強会は今年の夏から定例で1ヶ月から1.5ヶ月に一度開催している。目的は、新たなまちづくり事業の開発や政策モデルの検討、海外展開に関する情報交換である。

昨日は補助金を出して失敗した商業施設開発について取り上げました。
この手の話は結構よくある話であるが、当事者への配慮もあってか、なかなか失敗を中心としてその課題構造とかを皆で考えたりすることがあまりありません。事例集も成功事例集は出しても、失敗事例集とかはでない。

そもそも事例集自体に、なんで事例だけを紹介してしまって、そのままパクろうとさせてしまうのかも疑問なのですが、失敗についても同様で「これは失敗です」といったところで意味がなくて、なぜそれを防げなかったのか、というあたりの整理なしには意味がないわけです。失敗は常につきものですが、反省をせずに何度も繰り返すのはあまりに脳がありません。

さて、昨日は5つの事例について取り上げました。まぁ、何をもって失敗かという当たりはあるので、このあたりはもう少し熟度が上がって、処方箋もセットにして一気にブログや書籍とかも考えたいと思います。これら墓標と名付けた、地域の活性化の起爆剤といいながら、むしろその地域のお荷物になってしまったケース。その背後には何らかのレールが形成されて、最後は誰もとめられなくなる状況を垣間見ることができました。

今回取り上げたものはほとんどが再開発。しかも商業床と公共床のセット、かつとてつもなく地元の経済規模にたいしてデカイ。その全てが商業床の見込みが立たないままに建てて、終わってしまっている(破綻したり、行政支援なしに継続経営が成り立たないなど)。そもそも再開発という拡大経済モデルに基づく方法が既に成り立たなくなっているのだと改めて痛感しました。我々の仲間でも再開発して苦慮しているところもありますし、今検討していても建築費とかで頭を抱えているところも多いです。つまり過去の再開発手法は既に禁じ手に近くなっている。役所も分かりながらも、容積率緩和とかの過去の方法くらいしかインセンティブを付けられず、結果再開発推進をしつづけてしまう。都内でも既に再開発辛い、という声を大手不動産会社からも聞きます。中心部で商業床がとんでもないことになっているケースもありますしね。

話は戻りまして、昨日の事例では、こんな流れがあるように思いました。

誰かが思いつく(地元の有力者だったり、地権者だったり)
→形にしたいと地元議員(市長とか)に言う
→まず検討だけはしようとなる
→検討するために会議が設置される(~の再開発に関する調査事業うんぬん)。地元の有力者や専門家などが集められる。コンサルが事務局をやったりする。
→暫定的な計画素案が策定され、なんとなくこれができれば地元がよくなるような夢を持つ。
→この計画素案をもっと形として位置づけて、国とかの補助金をもらえば、地域がうるおうと思って、そのためには制度がないか?と探す。
→制度活用のために、市の基本計画、例えば中心市街地活性化基本計画に位置づける。
→補助金を申請するために計画変更を重ねていく。
→変な計画となり、建設前から見込み立たない。
→見込み立たないが、誰も色々な人がかかわりすぎてて止めるといえなくなっているので、そののまGO!
→経営が成り立たなくなって破綻。
→行政の追加支援。既に銀行とかも呆れ顔(もしくは最初から銀行は関わるのを拒絶)
→繰り返し

とまぁ、こんな感じの流れがあります。

問題解決はこのタイムラインの中で、どこで「止めるか」というあたりです。思いついてしまうのは制限できないので、思いついて提案されても、それをどこかで無理だろ、と止められないのか。事前には全く予見できない、やってみなきゃーわからんだろ、という意見もありますが、そんなことはありません。こんなご時世、そんな博打のような意識でやる段階で失敗確率急上昇です。

最後から見直すと、最後まできて計画を見返すと、その多くは建設直前には既に失敗すると薄々わかっている(テナントとか全く入らないとか)にも関わらず、もう止められないで建設してしまうことです。これは行政のみならず大企業とかでも発生することです。途中で中止することで発生する事象を考えると、作ってしまえーということになってしまう。そして、結果として失敗してしまう。

では途中のどこか、といえば、ひとまずは検討しよう、というあたりが一つの節目ですよね。議論のテーブルに載せるということです。ここで「止めるという選択肢も明確にあるのだ」ということをどこかで明確にしなければならないですが、検討し始めると思い入れも入り、なんとなく「止める」という話にしにくい場の雰囲気が形成されていったりします。恐らく素案が出たあたりには、どうにかこれを形にしていこうというような状態になってしまうように思います。

つまり素案に対して「これは無理」という判断をどこかでしなければならない。綺麗なパースを書いたり、まやかしの理想のリーシング像とかだけでは、次なる検討に値しない、進めないというようにしないといけないが、絵が書かれると以外と、「これはどうにかして地域の起爆剤としてつくろう」という話になってしまうように昨日の事例をみていてる共通項としてわかります。

何かをやろうとすること自体はいいですが、役所依存で、役所にどうにかしてもらうのが当たり前な空気、役所も直接はできないが応援はせざるをえないみたいな中途半端なポジションで、関わる全ての人が責任が不明瞭で突き進むということがよくないのですよね。
本当にいいことなら民間で勝手にやったほうがスピード感あるし、非合理的に余計な変更をしいられることがない。

うーん、なかなかもっとどこで止めるか、が難しいところですが、ある程度、早期発見早期治療は重要なように思います。早期に「これはまずい流れだ」と関係者の中で意識して、注意深く進める必要がある。注意のポイントは「需要」ですね。商業施設において作ってからリーシングしたりして失敗しているケースが多いですが、こんな需要縮小経済で、見込みで作ること自体が危険。最初に需要申し込みが確定してから、建設コストなども割り出してやれば逆ざやや、作ったけど入らないとかない。

まだ結論がないので頭を絞りたいですが、まぁそもそもこんな事業やる体力がもう自治体とかってないし、国とかも、事前に計画審査とかして補助金を入り口で出してしまうのではなく、もっと成果を出した人たちにインセンティブを作って、市場の中で頑張ってもらったほうがいいんではないか?というのがなんとなく結論のように思います。
結果を評価する形で税制優遇とかにすれば、計画は立派でも失敗してしまうという税金ロスがなくなると思うんですよね。

未来を予見して止めるみたいなことが非現実的であれば、結果に対してインセンティブをつけるほうが現実的ですよね。ただこの国は成果を出したら、税制インセンティブというのがあんまりないんですよね。これが下手なところ。成功に対しては税制をむしろ上乗せする方向になりつつありますからね。

このあたり墓標をどう防ぐか、についてはまた頭を捻りたいと思います。

さて、私の本文の「事業経営によるエリアバリュー創出」についてもかなり最近頭が回ってきているので、年末年始で書きたいと思います。

それにしても、あらゆるシーンで事業、政策の両面で抜本的な変化が求められているのを感じます。