私のブログエントリーも今回で888回。更新頻度には緩急ありますが、888回まで続けてこれたのも皆様のお陰です。さて最近はツイッターで色々とつぶやく機会が多いですが、先日ツイッターで「使い切れない義援金」といった話がありました。つまり集まったお金の使い先が見えない、と。今は「今の困っている人達を助ける」支援が中心で、これからの地域のあり方に合わせて資金を「投資する」という考え方までまだ至っていません。

そんな中、私は今回の震災復興における義援金活用として頭にいつもあるのが、1964年にあった新潟地震の復興における庄内医療生協のケースです。私が商店街同様にずっとウォッチしている生活協同組合のケースで数年前に調査、レポートにしたことがあったので、掲載します。まぁ特段政治的な意味合いはなく、社会システムやビジネスシステムに興味があるので、そういう見方で分析しています。

まず医療生協自体をご存知ではない方もいると思いますが、文字通りで組合員が出資したお金で組合員のために経営されている病院です。wikipediaによると、全国に111の医療生協があるそうです。今は許認可などで新規設立は無理だと聞いたことがあります。

さて、そのなかの一つ、庄内医療生協の成り立ちが実に面白いのです。


こちらにあるように、1964年に発生した新潟地震の際、全国の生協仲間から鶴岡生協に集まった基金の一部を活用し、529名の組合員と6万8700円の出資金、一名の医師と数名の職員で設立。最初は診療所だけだったのが、大きな病院、フィトネスクラブ、高齢者介護施設、配食サービスなどなどその後段階的に拡大し、現在では3万7千人あまりの組合員と19億円を超える出資金を持ち、実に鶴岡市内の66%の世帯数が加盟しています。さらに、鶴岡市内の生協や企業等の協同組織として、まちづくり協同組合「虹」が現在組織されています。

そもそも鶴岡生協(後の共立社)は、世界で初めて生協の「班」という仕組みを作ったことでも有名です。少し前まで生協の商品は共同購入(近所のおばちゃんたちで集まって商品を注文してわける形式)をとっていましたが、あのスタイルは実は鶴岡の共立社で生まれ、世界的に日本の生協モデルとして当時高く評価されたと聞きます。

正直いって決して大きな繁華街でもなく、農地がひたすらある、昔に人面魚で有名になった寺があるような鶴岡ですが、そのなかで義援金の興味深い活用モデルが成立していたわけです。

最近の事業状況については私のレポートお読みください。


義援金をどう活用するか。それはやはり地域住民たちがそれを「分配してもらう」のではなく、新しい地域内の公共サービスを支えていく原資にしていくことなどが考えられます。鶴岡医療生協のモデルは、社会保障制度で確立している皆保険制度によって地域の人たちが利用することで、その病院で収益を上げることができる。それを再投資で福祉サービス拡充に利用するという好循環が生み出されています。つまりそれは「義援金の分配」をするのではなく、「皆で投資をした」結果といえます。今では鶴岡市の総合病院は高度医療などを務め、鶴岡生協はリハビリや日常の診察、中長期入院用のベッドなどと分担していると聞きます。まーけど60%の世帯が入る生協ですから、自治体からすると煙ったいところもあるかもしれませんが、市民による新しい公共のケースとも言えるでしょう。

地域で生活を持続するためには「今」だけが重要ではありません。
勿論、大変な被災をし、愛する家族も失い、日々の生活もままならない中で、気持ちに余裕を持ってというわけにはいかない実情があるかと思います。ただ、自分たちの地域で今から新たな生命が生まれ、その子たちが生活していける環境を作る。何より地域活性化で重要なことです。

私は1964年に鶴岡であったこの小さな動きが、大きく2000年以降も花開いている姿をみて、考えさせられるのです。その時、そこに生きていた人たちは何を考えて、そう行動したのか。各地で復興計画が建てられる中、国に予算やアイデアを依存するのではなく、実はそのヒントは、少し前の日本で地域を支えてきた先人たちにこそあるのだと思います。それは「自分たちで考え、できる資金から始めること」だと思います。

ひとまず情報提供ということでupしました。