どんな事業でも結局は人が動き、形にしていきます。今では、全国各地で活性化のための「人材育成」などに取り組んでいますが、根本的には考え方、地域で優先すべきものの見極めが大切なのだと思います。

■「攻める人」、「守る人」がいる。
どの分野にも「攻める人」「守る人」がいます。「攻める人」は果敢にも外に出ていって、新たな市場を作ったり、その財によって地域内に再投資可能な財を生み出す人たちです。日本は島国ですから自国内だけでやっていくのは非常に困難で表向き鎖国をしていた江戸時代でさえ密貿易は一般的であり、結果的に密貿易で稼いでいた(もしくは密貿商人を認を黙認していた)藩がより多くの人口を食べさせられるかつ、文化芸能などの社会的な生産活動とは別次元の余暇に対しても資金が回るほどに豊かになり、さらには幕末の倒幕でも大きな役割を果たしました。一方で、ムラ社会的側面もあり、よく言われる農耕文化論で、限りある田畑からとれる生産物を地域内コンセンサスで分け与える社会システムこそがコミュニティの基礎である考え方です。

これはどちらだけが正しいということではなく、理想では、「攻める人」が活躍して外部からも財を調達することで地域内生産だけの限界を突破し、さらに「守る人」たちも地域内で奪い合いをせずに皆であるものを分けて生活していく、ということなのだとは思います。

■戦後日本は、攻める人が世界で攻めてパイを作り、これを守る人が平等に分けた。
ある意味で、戦後日本の経済モデルは、戦後に敗戦を経験した「攻める人」たちが平和産業を基礎として世界の人たちに新しい価値を提供するという産業勃興を大いに促進し、国民もそれを敗戦で失ったプライドを産業を通じて取り戻し、世界有数の輸出を基礎とした財獲得システムを樹立。同時に、国内ではスラムなどが発生しないように巧みに公共事業などを基礎として地方までを守る仕組みを樹立していった内外共に良好な公図というのもあったのかもしれません。だから輝かしい時代だったと皆が懐かしむのだろうなと思います。

■「攻める人」は地方からどんどんいなくなってしまう。
ただ戦後経済成長期の時も既に発生していたのは、「攻める人」たちは、田舎から大都市圏、そして世界に出ていってしまいました。大都市圏の企業群は勃興期であったこともあり、バリバリ攻めまくるのが基本で、それが素晴らしいこと、豊かになるこという価値観で、「攻める人」を大歓迎しました。閉鎖的な地方環境から脱したい、もしくはそもそも地方が衰退して大人数を食わしていけないという構造から、どんどん積極的な人材は大都市部に移動が発生していったわけです。

現在、衰退問題を抱えている地域は、このような戦後の変遷を経て、結局のところ地域に残ったのが「守る人」ばかりになってしまったところに起因することが多くあります。今の残った人たちはいかにして地域内での反発を避けて、コンセンサスを形成していくかということに熱心だったりします。その財源は一応都市部にでていった人材やその息子たちなどが稼ぐ所得などによって、再分配によってこれまでは供給されてきました。攻めることは都市部にアウトソーシング

しかし衰退の問題は、そもそも分けるパイがなくなってしまったということです。長らく攻めていなかったら、自分たちが食っていくのにも苦心したり、多くの人が地元では満足できない成長刺激のない環境になってしまったと言えます。これは地域内だけでどうするかを話し合っても解決策は生み出されません。

■しかし「攻める人」を受け入れられない。
私がここ15年間の間で、様々な先駆的な事業モデルで成果をあげてきたまち会社の経営者が、地元から反発を買って退陣させられたりしているのを何度も見てきました。結果として、その会社は潰れるまでに至らなくても当初のような輝かしさは失せ、縮小均衡の様相を呈すようになっているところもあります。さらに、その後の経営陣は合議制になってしまったり、次の世代の「攻める人」は恐ろしくて、もしくはバカバカしくて地域内で目立たないのが一番といった風潮になったりしてしまいます。

■「守る人」が「攻める人」を邪魔しては邪魔しては、地域活性化は達成できない。
しかしながら、先立ってバリバリ展開をしていく「攻める人」に対してついていけないと、批判をしたり、もしくは皆で村八分にしてしまうということをいまだやってしまう地域が多数あるわけです。そういうメンタリティで人材育成をやっても、結局は地域内で都合よく動いてくれるだけの新たな「守る人」を作るだけで、地域の衰退は止まりません。価値観は色々とあって、そんなわざわざ攻めてまで守るとかではない価値観もあるかと思いますが、結果的に消滅の危機に立たされている地域が多いのは、現実なのです。

■「攻める人」に攻めさせて、盛り上げるのが得意な「守る人」がいる地域が発展する。
これからは地域で新たな取組みを始める人、産業課題を解決するために新たな生産事業や地域商社事業を立ち上げたりする「攻める人」を潰してはいけないと思います。そんなことしては、ますます地域が衰退していったしまいます。その結果が今だったりするわけです。自分たちがたとえわからないこと、気に喰わないことがあったとしても、許容してどんどん挑戦することを良しとしなければならない。ここで地域内のなんとなくの空気感を保つムラ社会コンセンサスで潰してしまうと、ますます地域全体で衰退していくことになります。一見守ったように見えて、実は守れない環境を自ら招いてしまうように思えてなりません。

未だ、各地域でそのような動きをみていて、「攻める人」も「守る人」も両方地域をよくしたいという思いでやっているのにも関わらず、互いに揉めてしまってだめになるのをみて、地域に必要なのは個々としての人材だけでなく、それらが互いに尊重して潰し合わない姿勢なのではないかなと思う今日このごろです。